直江が電話に出るまでの時間が、ものすごく長く感じた。
『もしもし』
「────」
ひとこと声を聞くだけで一気に胸が苦しくなって、息が詰まる。
『…………何の用ですか』
無音の電話相手に間を持たせるためだけに発せられた言葉には、感情が全くこもっていない。
その物言いにはもう、苛々した気持ちと嫌悪感しか感じられなかった。
何も言わずにこのまま電話を切ってしまいたくなる。
が、その一切を押さえ込んで、高耶は言った。
「礼だけ、言っておく」
『礼?』
「あの花の」
『ああ……』
高耶の脳裏を、紅い色が占有する。
直江がバレンタインに送ってきたのは、真紅の花束だった。
ところが本人はすっかり忘れていたようで、そんなことか、という様子だ。
『いい香りが、したでしょう?』
確かに、明らかに女性をターゲットとしている華やかな花々は、優雅な中にもどこか隠微なものを含んだ、不思議な香りがした。
『あの香りを嗅ぐと、いやらしい気持ちになるらしいですよ』
「ッ………!」
怒りのあまり、とっさには言葉が出なかった。
『あなたが俺を想って、いやらしい気持ちになるように』
あくまでも無感情なその口調は、人を馬鹿にしているとしか思えない。
「ふざけ……っ!」
『───冗談です』
「…………直江……ッ!」
『有難いと思わないものに礼など言う必要はないんですよ』
さっさと捨ててしまいなさい、と投げ遣りに言う直江に、高耶もう呆れるしかなかった。
「じゃあ───何で贈ったりしたんだ」
『意味なんてありません。だた……』
直江は笑っているような声になった。
『世界中の誰よりも、あなたに似合うと思ったから』
電話の向こうの自嘲の笑みが見えるようだった。
『他の人間の手に渡るくらいなら、あなたの方が相応しいと思った。それだけです』
再び無感情に戻った直江は、
『もう切ります』
「なお──」
呼びかける高耶を無視して、電話は切れた。
ベッドに腰掛けて、高耶はため息をついていた。
部屋の隅には一厘だけ、紅い花が残っている。
つぼみだったものが、後になって開いたのだ。
直江の言うとおり、高耶も一度は捨てようかとも思ったけど美弥に怒られて出来なかった。
(どこがオレに似合うんだろう)
直江の言うことは、いつも突拍子もなくて困る。
だけど、だからこそ直江にしか言えない。
濃すぎるくらいの紅い色に触れてみたくて寄ろうとすると、独特の香りが漂ってきた。
───冗談です
直江はそう言っていたけれど。
───俺を想って……
「………っ」
高耶は怖くなって、それ以上近付くことができなかった。
『もしもし』
「────」
ひとこと声を聞くだけで一気に胸が苦しくなって、息が詰まる。
『…………何の用ですか』
無音の電話相手に間を持たせるためだけに発せられた言葉には、感情が全くこもっていない。
その物言いにはもう、苛々した気持ちと嫌悪感しか感じられなかった。
何も言わずにこのまま電話を切ってしまいたくなる。
が、その一切を押さえ込んで、高耶は言った。
「礼だけ、言っておく」
『礼?』
「あの花の」
『ああ……』
高耶の脳裏を、紅い色が占有する。
直江がバレンタインに送ってきたのは、真紅の花束だった。
ところが本人はすっかり忘れていたようで、そんなことか、という様子だ。
『いい香りが、したでしょう?』
確かに、明らかに女性をターゲットとしている華やかな花々は、優雅な中にもどこか隠微なものを含んだ、不思議な香りがした。
『あの香りを嗅ぐと、いやらしい気持ちになるらしいですよ』
「ッ………!」
怒りのあまり、とっさには言葉が出なかった。
『あなたが俺を想って、いやらしい気持ちになるように』
あくまでも無感情なその口調は、人を馬鹿にしているとしか思えない。
「ふざけ……っ!」
『───冗談です』
「…………直江……ッ!」
『有難いと思わないものに礼など言う必要はないんですよ』
さっさと捨ててしまいなさい、と投げ遣りに言う直江に、高耶もう呆れるしかなかった。
「じゃあ───何で贈ったりしたんだ」
『意味なんてありません。だた……』
直江は笑っているような声になった。
『世界中の誰よりも、あなたに似合うと思ったから』
電話の向こうの自嘲の笑みが見えるようだった。
『他の人間の手に渡るくらいなら、あなたの方が相応しいと思った。それだけです』
再び無感情に戻った直江は、
『もう切ります』
「なお──」
呼びかける高耶を無視して、電話は切れた。
ベッドに腰掛けて、高耶はため息をついていた。
部屋の隅には一厘だけ、紅い花が残っている。
つぼみだったものが、後になって開いたのだ。
直江の言うとおり、高耶も一度は捨てようかとも思ったけど美弥に怒られて出来なかった。
(どこがオレに似合うんだろう)
直江の言うことは、いつも突拍子もなくて困る。
だけど、だからこそ直江にしか言えない。
濃すぎるくらいの紅い色に触れてみたくて寄ろうとすると、独特の香りが漂ってきた。
───冗談です
直江はそう言っていたけれど。
───俺を想って……
「………っ」
高耶は怖くなって、それ以上近付くことができなかった。
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"遠すぎる"と照弘に言ったのは物質的な距離のことではない。
どうして自分はいつもこうなってしまうのだろう。
近づきたいと思えば思うほど、彼は遠くなる。
離れたいと思えば思うほど、縛られる。
彼との適度な距離がいつも保てない。
(わかってる)
彼にこだわりすぎるからいけないんだ。
彼のことばかりみてるから、彼との距離ばかり、必死に測っているから。
違うものを見ていればいい。
そうすれば、それなりの距離を保っていられるはずだ。
何故それができないのか。
どうしていつも、彼のことばかり考えてしまうのか。
「義明」
「──はい?」
「電話だ。仰木さんて人から」
どきりとした。
「どうした」
「……いえ。わかりました」
照弘からコードレスの受話器を受け取って、考えを巡らせた。
何か報告するように言われてただろうか?
そんな覚えはない。
家まで掛けてくるなんて、よほどの緊急事態だろうか。
直江は自室へと入って、通話ボタンを押した。
どうして自分はいつもこうなってしまうのだろう。
近づきたいと思えば思うほど、彼は遠くなる。
離れたいと思えば思うほど、縛られる。
彼との適度な距離がいつも保てない。
(わかってる)
彼にこだわりすぎるからいけないんだ。
彼のことばかりみてるから、彼との距離ばかり、必死に測っているから。
違うものを見ていればいい。
そうすれば、それなりの距離を保っていられるはずだ。
何故それができないのか。
どうしていつも、彼のことばかり考えてしまうのか。
「義明」
「──はい?」
「電話だ。仰木さんて人から」
どきりとした。
「どうした」
「……いえ。わかりました」
照弘からコードレスの受話器を受け取って、考えを巡らせた。
何か報告するように言われてただろうか?
そんな覚えはない。
家まで掛けてくるなんて、よほどの緊急事態だろうか。
直江は自室へと入って、通話ボタンを押した。
「大丈夫か?」
「え?」
「最近、顔色が悪いぞ」
「──ええ、大丈夫です」
末の弟は、そう言って笑った。
「そうか?」
照弘は少しだけ、違和感を感じた。
昔みたいな不安定な感じはないけれど、何だかそれが逆に怖い。
時折、感情をどこかに落としてきてしまったような顔をしている。
その不安感を吹き飛ばそうと、わざと明るく言った。
「今日はホワイトデーだぞ?本命の子くらいにはお返ししとけよ」
「……貰ってもいないのに、あげられません」
義明の言葉を聞いて、お、と思った。
すこし荒んだ物言いは気になったけど、ちゃんとそういう人がいるんなら、大丈夫だ。
「ちゃんと会いに行ったほうがいい。大事だぞ、イベントごとってのは」
そうですね、けど……と義明は
「遠すぎて、とても無理です」
その言い方がすごく悲しげだったから、照弘は何も言えなくなってしまった。
「そうか───」
「ええ」
ここで何かしてやれないのかと思ってしまうところが、過保護なんだというのはよくわかってる。
(お袋さんのこと、言えないな)
弟の横顔を見つめながら苦笑の顔になっていると、すぐ横にあった電話器が鳴り出したから、受話器を取った。
「え?」
「最近、顔色が悪いぞ」
「──ええ、大丈夫です」
末の弟は、そう言って笑った。
「そうか?」
照弘は少しだけ、違和感を感じた。
昔みたいな不安定な感じはないけれど、何だかそれが逆に怖い。
時折、感情をどこかに落としてきてしまったような顔をしている。
その不安感を吹き飛ばそうと、わざと明るく言った。
「今日はホワイトデーだぞ?本命の子くらいにはお返ししとけよ」
「……貰ってもいないのに、あげられません」
義明の言葉を聞いて、お、と思った。
すこし荒んだ物言いは気になったけど、ちゃんとそういう人がいるんなら、大丈夫だ。
「ちゃんと会いに行ったほうがいい。大事だぞ、イベントごとってのは」
そうですね、けど……と義明は
「遠すぎて、とても無理です」
その言い方がすごく悲しげだったから、照弘は何も言えなくなってしまった。
「そうか───」
「ええ」
ここで何かしてやれないのかと思ってしまうところが、過保護なんだというのはよくわかってる。
(お袋さんのこと、言えないな)
弟の横顔を見つめながら苦笑の顔になっていると、すぐ横にあった電話器が鳴り出したから、受話器を取った。
3月14日。
高耶は先程から自宅の電話の前で、立ち尽くしている。
原因は、一ヶ月前に届いた小包だった。
あのとき直江から届いた簡素な段ボール箱は、結局は当時の事件絡みの資料だったのだが、後からすぐ、今度は"直江"名義で美弥と自分宛てに小包が届いた。
ひとつは美弥宛てのチョコレート。
美弥は本当なら自分があげるべきなのにと恐縮しつつも、ペロリと平らげていた。
そして、自分宛ての小包には───。
「……………」
あの後も顔を合わせる機会はあったが、そのことに関しては一切触れなかった。
礼くらいは言うべきだと思っても、いざ直江を目の前にすると言う気になれないのだ。
こんなことでウジウジと悩んでいる自分が、とても癪に障る。
(掛けてしまえば、言うしかなくなる)
高耶は受話器をあげて、番号をまわした。
高耶は先程から自宅の電話の前で、立ち尽くしている。
原因は、一ヶ月前に届いた小包だった。
あのとき直江から届いた簡素な段ボール箱は、結局は当時の事件絡みの資料だったのだが、後からすぐ、今度は"直江"名義で美弥と自分宛てに小包が届いた。
ひとつは美弥宛てのチョコレート。
美弥は本当なら自分があげるべきなのにと恐縮しつつも、ペロリと平らげていた。
そして、自分宛ての小包には───。
「……………」
あの後も顔を合わせる機会はあったが、そのことに関しては一切触れなかった。
礼くらいは言うべきだと思っても、いざ直江を目の前にすると言う気になれないのだ。
こんなことでウジウジと悩んでいる自分が、とても癪に障る。
(掛けてしまえば、言うしかなくなる)
高耶は受話器をあげて、番号をまわした。
「家事は絶対分担!これからの男はそれくらいできないとっ!」
沙織は机に拳を叩きつけて、言い切った。
それを受けて、矢崎は心底厭そうな顔をする。
「俺は無理だわ~~。うちの親父なんて、ぜって-やらねーぜ?」
「うちは洗濯はさすがにやらないけど、洗い物なんかはよくふたりでやってるよ」
「さっすが成田くんのおとうさん♪」
夢見顔になる沙織の横から、譲は高耶に話をふってきた。
「高耶は家事、バッチリだもんね」
「まあな。好きでやってるわけじゃねーけど」
「じゃあ、いーがーいーにー、いい旦那さんになるかもねえ」
"意外に"を必要以上に強調する沙織を、高耶は横目で見る。
「でもオレが主婦だったら、ぜってー旦那になんて手伝わせねーぜ?」
「ええ~、なんでえ~~?」
「だって………普段何もしない奴に手伝わせてみろよ?料理ったって包丁の持ち方もなってねーし、食器洗わせたっていつもと違うとこに平気でしまうし、洗濯物干すときだってちゃんと──ッ痛てぇ!」
突如現れた千秋が、背後から高耶の頭をはたいた。
「具体的な相手を想定しすぎなんだよ、お前は」
恥ずかしい……、と半眼になっている。
「身内の恥をさらすな、バカ虎」
後頭部をさする高耶を置いて、千秋はブツブツ言いながら去っていった。
沙織は机に拳を叩きつけて、言い切った。
それを受けて、矢崎は心底厭そうな顔をする。
「俺は無理だわ~~。うちの親父なんて、ぜって-やらねーぜ?」
「うちは洗濯はさすがにやらないけど、洗い物なんかはよくふたりでやってるよ」
「さっすが成田くんのおとうさん♪」
夢見顔になる沙織の横から、譲は高耶に話をふってきた。
「高耶は家事、バッチリだもんね」
「まあな。好きでやってるわけじゃねーけど」
「じゃあ、いーがーいーにー、いい旦那さんになるかもねえ」
"意外に"を必要以上に強調する沙織を、高耶は横目で見る。
「でもオレが主婦だったら、ぜってー旦那になんて手伝わせねーぜ?」
「ええ~、なんでえ~~?」
「だって………普段何もしない奴に手伝わせてみろよ?料理ったって包丁の持ち方もなってねーし、食器洗わせたっていつもと違うとこに平気でしまうし、洗濯物干すときだってちゃんと──ッ痛てぇ!」
突如現れた千秋が、背後から高耶の頭をはたいた。
「具体的な相手を想定しすぎなんだよ、お前は」
恥ずかしい……、と半眼になっている。
「身内の恥をさらすな、バカ虎」
後頭部をさする高耶を置いて、千秋はブツブツ言いながら去っていった。
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