幹線道路が混んでいたため、細い裏道を行くことにした千秋は、小さな十字路で一時停止をした。すると。
ドカッッ
鈍い音ともに、恋人(レパード)の後ろへ自転車が突っ込んできた。
自転車はぶつかった拍子にこけたらしい。
「いったたたたた」
年配の男性の声が聞こえてくる。
自分に非はまったくないと思うのだが、もちろんそのまま放って置けるわけもなく、車を降りて声をかけた。
「大丈夫っスか」
「ああ、大丈夫、大丈夫。心配ないから」
初老の男性はずいぶん急いでいるらしく、自転車を起こすと挨拶もそこそこに行ってしまった。
もし警察沙汰にでもなれば、対人事故扱いで面倒くさいことになっていただろう。
そういった事態にならずにすんでよかったと、何気なく恋人に眼をやって、ぎょっとなった。
かわいいお尻に、大きな傷跡がついている。
千秋は思わず放心した。
「………うそだろ」
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ドカッッ
鈍い音ともに、恋人(レパード)の後ろへ自転車が突っ込んできた。
自転車はぶつかった拍子にこけたらしい。
「いったたたたた」
年配の男性の声が聞こえてくる。
自分に非はまったくないと思うのだが、もちろんそのまま放って置けるわけもなく、車を降りて声をかけた。
「大丈夫っスか」
「ああ、大丈夫、大丈夫。心配ないから」
初老の男性はずいぶん急いでいるらしく、自転車を起こすと挨拶もそこそこに行ってしまった。
もし警察沙汰にでもなれば、対人事故扱いで面倒くさいことになっていただろう。
そういった事態にならずにすんでよかったと、何気なく恋人に眼をやって、ぎょっとなった。
かわいいお尻に、大きな傷跡がついている。
千秋は思わず放心した。
「………うそだろ」
ばきぃぃっっ
きゃーと教室内の女子から悲鳴が上がる。
頬に鈍い痛みを感じながら吹っ飛ばされた千秋は、背中を黒板へと打ち付けた。
「……ってえ」
とっさのことで何が起きたのかわからない。
「田中さんが……田中さんが……お前を好きになったから別れるって………っ!」
目の前で、見たことも無い男子生徒が腕をプルプルと震わせている。
どうやら彼が自分を殴ったようだった。
「これでチャラにしてやるっっ!ありがたく思えよっっ!」
男子生徒はそう捨て台詞を吐くと、バタバタと教室出て行った。
「……誰だよ、田中さんって」
身に覚えのない千秋は、ズキズキといたむ頬を押さえる。
「言いがかりにもほどがあるだろ……」
きゃーと教室内の女子から悲鳴が上がる。
頬に鈍い痛みを感じながら吹っ飛ばされた千秋は、背中を黒板へと打ち付けた。
「……ってえ」
とっさのことで何が起きたのかわからない。
「田中さんが……田中さんが……お前を好きになったから別れるって………っ!」
目の前で、見たことも無い男子生徒が腕をプルプルと震わせている。
どうやら彼が自分を殴ったようだった。
「これでチャラにしてやるっっ!ありがたく思えよっっ!」
男子生徒はそう捨て台詞を吐くと、バタバタと教室出て行った。
「……誰だよ、田中さんって」
身に覚えのない千秋は、ズキズキといたむ頬を押さえる。
「言いがかりにもほどがあるだろ……」
鍵は何度も何度も何度も取り上げたのに、高坂は必ず合鍵を持ってやってくる。
錠前ごと変えてみたり、合鍵の作れない特殊な鍵にしてみても効果はなかった。
いざとなれば《力》を使って開けられるはずなのに、わざわざ合鍵を使って入ってくるところが憎たらしい。
「今週末もくるんだろう?景虎殿は」
早朝、テレビに向かってすっかりくつろいでいる高坂は、ザッピングをしながら聞いてくる。
直江は高坂はいないものとして扱っているから、コーヒー片手に朝刊に眼を通しながら返事もしない。
こんな高坂でも気を使ってなのかなんなのか、高耶の来る週末だけは絶対にやって来ないのだ。
だからまあ、かろうじて、ギリギリのラインで、許してやっているのだが。
「バレンタインというやつだな、14日は」
いやな予感がして、思わず喋ってしまった。
「………来るなよ」
「当たり前だ。私とて景虎殿の恨みは買いたくない」
高坂は大仰に頷いてみせる。
ならすすんで恨みを売るような真似をしてくる自分のことは、いったい何だと思っているのだろう。
つくづく人を馬鹿にしてる、と、直江は苦虫を噛み潰したような表情でコーヒーをすすった。
錠前ごと変えてみたり、合鍵の作れない特殊な鍵にしてみても効果はなかった。
いざとなれば《力》を使って開けられるはずなのに、わざわざ合鍵を使って入ってくるところが憎たらしい。
「今週末もくるんだろう?景虎殿は」
早朝、テレビに向かってすっかりくつろいでいる高坂は、ザッピングをしながら聞いてくる。
直江は高坂はいないものとして扱っているから、コーヒー片手に朝刊に眼を通しながら返事もしない。
こんな高坂でも気を使ってなのかなんなのか、高耶の来る週末だけは絶対にやって来ないのだ。
だからまあ、かろうじて、ギリギリのラインで、許してやっているのだが。
「バレンタインというやつだな、14日は」
いやな予感がして、思わず喋ってしまった。
「………来るなよ」
「当たり前だ。私とて景虎殿の恨みは買いたくない」
高坂は大仰に頷いてみせる。
ならすすんで恨みを売るような真似をしてくる自分のことは、いったい何だと思っているのだろう。
つくづく人を馬鹿にしてる、と、直江は苦虫を噛み潰したような表情でコーヒーをすすった。
見慣れた玄関に入って後ろ手にドアを閉めると、高坂は大きく息を吐いた。
シューズボックスの上に置かれた小さなトレイに鍵を入れて、靴を脱ぐとリビングへと向かう。
今日も忙しい一日だった。
現在の《闇戦国》は全国的に小康状態にあるとはいえ、伊達や北条、毛利、更には"斯波英士"こと織田信長、"六道界の脅威"こと成田譲の監視を怠るわけにはいかない。
しかも、高坂個人で思うところがあって計画している事案もある。
その細くしなやかな肩に乗せられた目に見えない重圧は、武田の重臣としての重荷だけではなく、この世界の行く末そのものなのだ。
ほかにも、鵺達からの報告を聞いて指示を出すような雑務から、他の重臣たちと今後の方針の話し合い、信玄の元へと参じてのご機嫌伺い、自身の艶やかな黒髪と赤い唇を保つためのケア、友人であるカラスたちへのスマートなゴミの漁り方の指導(最近は随分上達した)、とにかく様々な用事をこなさなければならないのだ。
心が休まる暇などない。
愛用のトレンチコートを脱いでソファへ無造作に投げた高坂は、けだるげに髪を掻き揚げた。
熱いシャワーを浴びたかった。
そうして身体がほぐれたら、キッチンに置かれたあの家庭用ワインセラーの中から、一番高いワインを選んで開けてしまおう。そうすればきっと、拭いようのない疲れも癒えてくれるはず─────。
「なにやってる」
ところが、突然の無粋な一言で、高坂のハッピープランは水を差されてしまった。
何ごとかと振り返れば、"小心者の狼"こと直江信綱が、怒りの形相で腕組みをしながら立っている。
「風呂に入ろうとしていたところだが」
「………何故お前は当たり前のように俺の家に入ってくるんだ」
「ん?ああ、挨拶がまだだったか。"ただいま"」
下目使いでそう言ってやると、ブチッと堪忍袋の尾が弾ける音が聞こえた。
「さっさと自分の家に帰れっ!」
ひどい剣幕で玄関を指差してくる。
妄執を抱えて四百年もウジウジしていた人間とはとても思えない早ギレっぷりだ。
「遠いんだ、家は。甲府だぞ?今からでは新幹線もない。ホテルばかりでは宿代も嵩むしな」
「だったらカラスに寝床でも作らせろっ!」
直江が大声で喚き散らすから、近所迷惑だぞ、とたしなめてやった。
シューズボックスの上に置かれた小さなトレイに鍵を入れて、靴を脱ぐとリビングへと向かう。
今日も忙しい一日だった。
現在の《闇戦国》は全国的に小康状態にあるとはいえ、伊達や北条、毛利、更には"斯波英士"こと織田信長、"六道界の脅威"こと成田譲の監視を怠るわけにはいかない。
しかも、高坂個人で思うところがあって計画している事案もある。
その細くしなやかな肩に乗せられた目に見えない重圧は、武田の重臣としての重荷だけではなく、この世界の行く末そのものなのだ。
ほかにも、鵺達からの報告を聞いて指示を出すような雑務から、他の重臣たちと今後の方針の話し合い、信玄の元へと参じてのご機嫌伺い、自身の艶やかな黒髪と赤い唇を保つためのケア、友人であるカラスたちへのスマートなゴミの漁り方の指導(最近は随分上達した)、とにかく様々な用事をこなさなければならないのだ。
心が休まる暇などない。
愛用のトレンチコートを脱いでソファへ無造作に投げた高坂は、けだるげに髪を掻き揚げた。
熱いシャワーを浴びたかった。
そうして身体がほぐれたら、キッチンに置かれたあの家庭用ワインセラーの中から、一番高いワインを選んで開けてしまおう。そうすればきっと、拭いようのない疲れも癒えてくれるはず─────。
「なにやってる」
ところが、突然の無粋な一言で、高坂のハッピープランは水を差されてしまった。
何ごとかと振り返れば、"小心者の狼"こと直江信綱が、怒りの形相で腕組みをしながら立っている。
「風呂に入ろうとしていたところだが」
「………何故お前は当たり前のように俺の家に入ってくるんだ」
「ん?ああ、挨拶がまだだったか。"ただいま"」
下目使いでそう言ってやると、ブチッと堪忍袋の尾が弾ける音が聞こえた。
「さっさと自分の家に帰れっ!」
ひどい剣幕で玄関を指差してくる。
妄執を抱えて四百年もウジウジしていた人間とはとても思えない早ギレっぷりだ。
「遠いんだ、家は。甲府だぞ?今からでは新幹線もない。ホテルばかりでは宿代も嵩むしな」
「だったらカラスに寝床でも作らせろっ!」
直江が大声で喚き散らすから、近所迷惑だぞ、とたしなめてやった。
バイクにのっていると、馬に乗っていた頃を思い出す。
景虎も馬が好きで、よく共駆けをしたものだった。
記憶のない現在の景虎も、バイクが好きなのだと直江から聞いている。
馬に乗っていた頃の記憶が、意識下にあるせいだろうか。
松本までの長距離をバイクで行くのは、普通なら辛いものなのだろうが、本当に久しぶりに景虎とともに駆けられるのかと思うと、全く苦に思わなかった。
景虎も馬が好きで、よく共駆けをしたものだった。
記憶のない現在の景虎も、バイクが好きなのだと直江から聞いている。
馬に乗っていた頃の記憶が、意識下にあるせいだろうか。
松本までの長距離をバイクで行くのは、普通なら辛いものなのだろうが、本当に久しぶりに景虎とともに駆けられるのかと思うと、全く苦に思わなかった。
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